| 【16・高齢者の「ノーブレス・オブリッジュ」】 |
実は高齢者の生き方についても、こうした意見は大変強いのです。「ボランティアをするかしないか、生涯学習をするかしないか、どう生きるかは勝手で、今まで頑張って生きてきたのだから、最後の時間は自由にする。あまりやかましく言わないでくれ」という意見も結構強いのです。それはそれでそのとおりなのですが、やはり人は自分一人では生きられません。いろいろな方の力を借りることになります。その時に、人の力を借りたことに対し、自分の答えを出すことはもちろん義務でもないし、押しつけでもありません。しかし、自分の答えを出すのは一種の社会的な義務といいますか、「ノーブレス・オブリッジnoblesse oblige(高貴なる人の義務)」ではないでしょうか。その義務とは、法律的な意味の義務でも、強制の意味でもありません。
それでは、社会的な意味での義務とは何なのでしょうか。私は、それは輝いて生きてみせることだと思います。高齢者がいくつになっても、どんな状態になっても、自分や自分の思いを大切にし、自分を大切にするからこそ人の思いも大切にして、自分の可能な範囲でできる範囲で人の役に立つ。そういう生き方を最後まですることです。ですから、若い人が「年がいくということは素晴らしい。あんなにたくさんの時間とお金があって、ゆとりがあって、その中であのように自分の思いを活かし、どんな状態になっても、自分を大切にして、みんなに喜ばれながら生きておられる。ああ年がいくということは素晴らしいことだ。僕も早く年寄りになりたい」と本心でそう思うような、素晴らしい生き方をしてみせることです。それが高齢者の「ノーブレス・オブリッジ」ではないでしょうか。高齢者がそうした生き方をみせることによって、若い人たちは「生きているということは素晴らしい。年がいけば、さらに素晴らしい。だから、最後まで希望を持って、自分も今から素晴らしい生き方をしよう。頑張ろう」という気持ちになってくれます。
逆に、高齢者が「年がいくと、あんなにみんなに遠慮して小さくなって、したいこともせず、生きていかなければいけないのか。もう年寄りになるのはいやだ」という姿を見せれば、若い人たちは刹那主義になってしまいます。今の日本の若い人たちはかなり刹那主義になっている嫌いがあります。それは長寿社会という素晴らしい社会に間に合って生きている私たちの責任です。私たちが輝いて生きてみせ、若い人たちにも力を与えることが、私たちの社会への報いではなかろうかと考えています
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