| 【17・私の愛する不思議な街吉祥寺】 |
吉祥寺の魅力は誰が作ったのか
吉祥寺に生まれ育ち、殆ど吉祥寺を離れたことの無いまま、70年を過ごした私は、吉祥寺をこよなく愛している。
吉祥寺と言う街は実に不思議な街だと思う。何故かというと今までこの街に冠されてきたあらゆる形容詞がすべて当たっていて、しかもそれが矛盾しているからである。例えば、ヤングの街、ファッションの街といわれる一方で、伝統のある街とも言われている。
吉祥寺の持つ「不思議な街の不思議さ」の原因は、勿論この町に住み、そして集まる人々が作っているのである。
中央線の古い山の手の拠点の1つであった吉祥寺が、大きな変化を見せ始めたのは1970年代であると言って良いだろう。
吉祥寺を中心として生活している人々はおよそ次の7つのタイプに分けられる。
第一に「コーヒー文化」の担い手たちである。昭和初期から中期にかけて流入してきた「中央線山の手族」である。その人たちは新宿中村屋、紀伊国屋書店、武蔵野館、そしてムーランルージュの良きお客であった。「談論型インテリ山の手文化族」である。 モボ・モガだった私の両親が正にそうだった。
第二に戦後復興期に焼け残った吉祥寺に(そんなには焼けなかったが)集まった「疎開族」、これに旧中島飛行場の従業員たちが混じってくる。
第三に昭和30年代後半に、第一次消費革命と東京への人口集中の中で、郊外化した「ベッド・タウン族」
第四に昭和28年から33年位までに、中野区、世田谷区、杉並区、武蔵野市、三鷹市などに流入した「バス通り裏族」
第五に第二.第三の戦後に中央線に流入した人たちの子供たち。
第六に中央線・井之頭線で通う流入学生たち。
第七に大正の始めから(古くは数百年前から)吉祥寺に住んでいる土着の人たち。
「文化的山の手族」に「70年代安保風ヤング」が加えられ、戦後の流入族などの生活そのものが成熟化するなどの状況が、70年代の10年間に吉祥寺と言う街の不思議さを生み出し、それが今日まで続いていると言って良いだろう。
戦後の吉祥寺商業史
戦後の吉祥寺の商業の移り変わりを追って行くと、大きく分けて。次の6つのエッポクがある。
第1期は主戦直後からの10年間。ここで形成されたのが北口駅前の「ヤミ市」である。現在「ハーモニカ横丁」と呼ばれているこの「ヤミ市」はご存知のように終戦後五十数年経った現在も多少歯抜けにはなったが、殆ど昔のままで残っている。防災的にはかなり危険ではあるが、「浮世絵草紙的空間」となって、吉祥寺の温かさを支えている重要な要素となっている。
第二期が昭和30年代に入っての外部からの大型資本進出である。
ダイヤ街、コスモ、更にディスカウンターなどがヤミ市の周辺に開店し、ショッピング・センターとしての吉祥寺の顔が形成された。
第三期は昭和40年代後半の再開発である。名店会館(現在は東急デパート)に続いて、ロンロン、ターミナル・エコー(現ユザワヤ)、伊勢丹などの資本進出である。この時期に街の中心はダイヤ街からサンロードに移り、商圏も飛躍的に広がって行った。(一時期250万人とも言われた)
第四期は昭和50年代前半の近鉄デパート【現在三越および大塚家具】および名店会館を取り壊して作られた東急デパートの進出、そしてF・Fの完成、O&T、レンガ館、丸井新館などの大型施設が出揃い、吉祥寺戦争と呼ばれた競合時代となり、O&T、ターミナル・エコーの沈没と、東急デパートの制覇と言ったショッキングな結果を生み出した。
第五期はパルコおよびパーキング・プラザと言う、昭和55年以降のエポック・メイキングな時期である。パルコの進出は情報力で人を集めると言う戦略で、井之頭線沿線に住む山の手族を中心に多くの人を集め、吉祥寺が郊外拠点都市としての一つの成熟点に到達したことを示した象徴的な出来事であったと思う。
第六期は昭和60年代から平成6,7年に至る10年間で東急インに続き、第一ホテルが稼動し始めたことに並行して、数多くの金融機関がひしめく中で、新宿・立川・国分寺などの商業拠点との競争激化の為に商業吸収力が低下し、成熟点を通り越して老化も言われるようになった。
第七期は六期以降現在に至る不況の中でのさまざまの試みである。
吉祥寺南口駅前の暫定的再開発計画、三越および大塚家具裏の道路拡張を含む再整備などである。
こうした急激な街の変化の中で、吉祥寺に集まる人々はその時期に応じて自分たちの世界を探して来た訳けだが、集まる人々のタイプによって利用する店がはっきり別れてしまった。だからこそ各々が「出会う店」と言うのが無く、比較的小さな街の中で、それぞれのタイプが無関係に動きまわっていると言う状況から、相互矛盾する街のイメージが混在する「不思議な街」となったのである。
この状況はこの20年くらい大きくは変わっていない。ここにカオス(混沌)と呼ばれる吉祥寺の多様性と言う一つの特徴が存在し続ける。そして浮世絵草紙的雰囲気の旧ヤミ市(ハーモニカ横丁)と、「背徳の浪漫」と呼べる旧近鉄裏東地区のような多様性を持ったままそれぞれが変わって行く。これが吉祥寺の持つユニークさといえる。また吉祥寺の街はせいぜい500メートル×800メートル程の範囲にまとまった東急デパート区、チェリナード区、本町通り区、サンロード区、北サンロード区、旧近鉄デパート区、平和通り区、南口井之頭通り区の8街区が回廊性(回遊性)をもっており、この回廊性も碁盤目のような道路とあわせて、吉祥寺の一つの特徴となっている。
最近になって吉祥寺の商圏が二重の同心円となって広がって来た。周辺にインパクトのあるヤング好みの店が増えて来た。価値観の多様化によって変化している。
マスタープランが必要なのだ
私は建築家として常々、都市には将来を展望した「都市像」が必要であり、基本計画に基づいて都市整備(街造り)を行うべきだと考えている。実際に多くの自治体も数多くの調査・研究を行い、長期計画に基づいて整備を行っている。
私も武蔵野商工会議所前都市計画委員長として、地下利用を含む吉祥寺駅周辺整備計画を企画提案した。こうした経験から私は都市は長期的視野に立った生活・機能などの需要(ソフト)を先行させて、科学技術などの飛躍的進歩を見通し、インフラ施設・建築などのハードは、計画的・長期的に実行すべきであると確信している。
ここで吉祥寺の街が持ち問題点を箇条書きに記して見よう。
1・約20数年前にF・Fビルとサンロード商店街などの仕掛けが完成し、成功例として全国から参観者が集まった吉祥寺の街も、今や陳腐化し様々な仕掛けを再整備しないと、集客力の低下を食い止められない状況になった。サンロードの新アーケード建設計画はその一つである。
近隣商業地との競合で、相対的地盤沈下は万人の認めるところになっている。
商業構造、商業蓄積、街の魅力度、環境整備、快適性、話題性のどれを取っても凋落傾向は否めない。
2・サービス・オープンスペースの欠如。駐車場・駐輪場の(かなり設備されてきたが)不足、マス交通手段、アクセスの不備による市民や顧客サービスの低下など、部分的に改善されつつあるがまだ不充分と言わざるを得ない。
3・副々都市としてインテリジェントビル、サテライトオフィスの需要、SOHOの需要の普及が叫ばれて久しいが、この施設の整備はこれからである。
4・広域交通網、地区交通への対策も近隣自治体との折衝と言う難しい問題もあって、一朝一夕には行って居ない。半地下(掘割り)道路の案も実現真近となって居る様だが、実現には未だ数年を要するだろう。吉祥寺南北交通の整備は急務であろう。
5・文化的・社会的・教育的施設の整備も十分とは言えない。駅周辺に小美術館
等の提案もされてはいるが、大・中多目的ホール・展示空間や小ホール等の整備が待たれるところである。地価の下がった現在,駅周辺の高層分譲マンションは採算的にも十分可能であり,実例も出現した。
6・質の高い、狭くは無い高層住宅をビルの上階に設けることも職住近接の需要から見て望ましい。
7・エネルギーの管理施設・物流・情報受発信・防災.防犯・郊外防止などの都市管理システムもハイテク技術を取り入れての整備は、IT時代の今急務である.。
8・グレードの高い成熟した生活者の多い吉祥寺に相応しい「安心して暮せる安全な街」,「心の豊さを実感できる質の高い生活提案」のある街を目指す。
すべて新たなグランド・デザインに基づく処方箋に従って再々開発を実行すべき時期であることを痛感する。
吉祥寺市場圏の21世紀の整備課題
吉祥寺の街の持つ問題点を解決に導く幾つかの具体的整備課題案を以下に箇条書きに記して見よう。
1・ハーモニカ横丁の再開発
現状の浮世絵草紙的雰囲気は残した低層(地下2階、地上2ないし3階建て)の共同ビルの建設(屋上は緑化した多目的お祭り広場)文化的施設とエネルギー施設を地下に設ける)
2・井之頭公園へのアプローチ通りの再整備と駅南北地下道路の整備
3・駅南口広場の造成(緑の空間の活用も急務)
4・旧近鉄デパート裏のSOHOビル(上階は共同住宅)の建設
(才気誘発都市として高度な頭脳を集中させたビル)
5・物流と配送(交通対策を含めた)の総合管理システムの地下部分での整備
6・都市の情報発信基地としてのインテリジェントビルの整備
7・駅北口広場の地下空間の利用(様々な活用が考えられる)
8・パスポート交付所などの政府機関の進出
9・地球環境にやさしい緑の多いエコビルの建設
吉祥寺は商業の街としては、現在も約220万人の商圏を持っていると考えられ、新宿から立川に至る中央部分に位置し恵まれた環境に在ると言える。
全国に先駆けて、様々の仕掛けをハードとソフトの両面で前向きに整備して行けば、未来は決して暗くは無い。「環境に優しい緑の街」と言う武蔵野のイメージを大切にし、地球環境を改善するエコロジーを十分配慮した、ハイテク.・ITを駆使した活力あるグリーン・タウンを先人の努力に感謝しつつ、再々開発しようではないか。
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