| 【23・神々と交信する間】 |
オーストラリアに親しい築家がいる。ジョン・バックスターさんと建築の話をしていて、英語の翻訳できない日本語にしばしばぶつかる。「床の間」これは「アルコーブ」で良い。まさかか「ベッドルーム」ではない。床はフロアーでもベッドでも時に「バーバー⊥(床屋)にもなるが、「間」は大変むずかしい。「間」は本来[隙間]のことで空間と時間にまたがる四次元の概念であろう。「間男」「間者」といった使い方をするが、もちろん「休止」(ポ−ズ)という意味もある。
洋楽では「間」は休止符であるが、邦楽で洋楽以上にこの「間」にエネルギーを入れている。「間合い」というのは日本の言葉・話術・武術・スポーツでは極めて大大切なポーズであって、東洋の神秘といわれるほど外国人にはこれに含まれるエネルギーは容易に理霹できないようである。
この「間合い」という言葉は日本文化のさまざまの領域でキーワードとなっている.間違い・間抜け・間尺に合わないなど、単にエラー・フールなどと訳してもどうもしっくりしない。
さて、建築で使われる「間」は、長さの単位であり「空間」「部蜃」の意昧で使われる。柱の上部にあるのが梁(時に桁・胴差・頭繋ぎ)で下部あるのが土台(時にないこともある)。柱と柱、梁と土台で区切られた四角い空間が、建築でいう本来の「間」の意味である。この骨組みの空間を璧にして埋めたり、戸を立てたりするのが「間仕切り」である。桂と柱の間に立て込んだ戸を「戸間」=「窓」と呼び、この辺が外国と逢っている。英語でもドイツ語でも「マド」は「壁の穴」「風穴」「塀(自然を閉め出すもの)」で、厳しい自然から身を守るシェルターである建物に採光・換気のために開けた穴を意味している。世界の文明国の中で最も恵まれた自然条件である日本では、マドは開いていることが常識の戸である。
また柱も象徴的な意味をもっている・八百万(やおよろず)という多くの神をもっている日本の神道では、国のために死んだ人は「神」となり、「ひと柱、ふた柱」と呼ばれている。ゴシック建築がゴッドに近つくために空高くそびえていったように、柱も天界と地上をつなぐ装置として神と交信し、自然と語り合うために建てられたものである。われわれ日本人が住まってきた木造の和風建築は注と梁と土台で作られた「間」の建物で、自然に融け込み、語り合い、そして神々と交信する空間と持間が存在していたのである。その中で日本独自の文化が育まれてきたといえるだろう。
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