| 【28・日本人は儒教精神を失ってしまった】 |
かつて日本人には儒教精神が根づいていた。自分のやり方がうまくいかない時、経営で迷いが生じた時、日本人は儒教を紐解いた。
江戸時代中期に新井白石が書いた『読史余論』には、「権限を持っている人は技術面のみならず、厳しい倫理観をもっていなければならない」と記している。
「権力を持つ人はその運命に感謝して、その授けられた力を皆のために使いなさい」と教えが人々に残っていた。そして日本という国があらゆる点で極めて高い水準にあるのも、それが指導者だけではなく一般の人々にも教育によってこの儒教精神が浸透していたからである。
それまでの日本の教育は、一貫して「道徳」が中心にあった。神道をはじめとして、儒教、仏教、道教などといった古くは別々に日本に入ってきたものが、互いに影響し合いながら長い時間をかけて日本文化に取り込まれ、日本人はこれらを特に区別することなく、一つの「道徳」として受け入れてきたように思う。これらの教えの中から、日本人は指導者としてまた人として、生きる知恵の多くを学んできた。
儒教をはじめとするこの道徳観を、ことごとく排除したのは、敗戦後の日本を支配したマッカーサー率いるGHQ.(連合国軍総司令部)だった。彼らが戦後、日本に導入した教育制度は「道徳」に代わって、「アメリカ的」自由と平等と民主主義といった価値観を中心に置くものだった。 昭和の終わりごろまで、まだ日本のリーダーの多くは戦前までに教育を受けた人々だった。しかし平成ごろから戦後教育を受けた人々が、リーダーの地位に就き始めた。この両者の受けた教育の違いこそが、平成の時代に日本に数々の問題をもたらした原因だと私は考える。
「道徳」を教えないということは、善悪の区別ができない人間を育てることに等しい。善悪の区別がつかない人間には、意思決定ができない。自由とは意思決定ができて初めて可能なものであるから、それができない人間は「奴隷」とたいした変わりはない。戦後教育とは、日本人をアメリカの奴隷にするための教育だった。優秀な奴隷は従順で、かつ他律的であることだ。戦後の日本の教育は、まさに優秀な奴隷、自己を持たないゆえに簡単にマインドコントロールされる人々が量産されるシステムだった。特にそれが顕著に表れているのは、 平成になってから施行された所得税増税、消費税増税、法人税減税、規制緩和、民営化、小泉首相が提唱する郵政事業の民営化や、銀行の不良債権問題の正常化への圧力などである。これらは殆どどがアメリカの意向であると私は考える。
またすべては強者がさらに強くなるためのものと言える。戦後、GH Qは日本のあらゆるメディアを抑え、アメカに都合のよい情報だけを流していった。そして敗戦で自信を喪失した日本人は、アメリカの言うことは絶対だと盲従するようになっていった。
マッカーサーがこれをどこまで意図していたかは分からない。しかし、平成に入ってからの日本政府の政策には、それが顕著に現れている。それらの政策が社会にもたらしたことといえば、失業率、企業倒産件数、民間負債額、政府の債務残高であり、そのどれ一つをとつても過去最高の記録であり、その結果日本経済は急速に衰退した。
過去15年間の記録は、昭和時代に先輩たちが築いた経済や、今よりも健全だった社会を壊してきたことばかりなのである。日本の伝統の中に現在のアメリカに象徴される弱肉強食の理念はなかった。
むしろ、つい数十年前までは、強い者が弱い者を助ける風潮は当たり前だった。こうしたかつての日本の良き伝統や理念を思い出すこと、つまり、その教えを教育の場に取り戻すことが、日本を立て直すことにつながると私は信じている。
「うそは言わない」「人を騙してはいけない」「正直であれ」と言う単純でプリミティブな教えを経営者や幹部社員が徹底して守り、かつ社員に守らせていれば企業不祥事などは起こらない筈であると私は考える。
今こそ、道徳、倫理教育が必要なのである。
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