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【32・遊ぶこと】


 子供の遊びと大人のそれには違いがある。子供は遊びながら、学んでいる。子供も楽しみに遊ぶことは確かであろうが、その中からいろいろと学び取っている。例えばカエルやトンボを捕まえておもちゃにしていても、その中から命と言うものを学んでいる。
 一方大人も良く遊ぶ。何の為に遊ぶのであろうか。大人は退屈しないために、気晴らしに遊ぶのであろう。その中から学ぶと言うことは殆ど無い。しかし、文化が成熟してくると、自分の仕事に喜びや緊張感を感じる人が出てくる。かく言う私もそうである。そうなると仕事も殆ど感覚的には遊びとなる。
その境界線がはっきりしなくなり、遊びと仕事の区別が明確でなくなる。だから何時間仕事(?)をしていても疲れないのである。私は若い頃、月に400時間は仕事(?)をしていた。もっとも残業代は三時間で百円だった。昭和30年代の初め頃の話である。
 研究者と言う方もそうである。ノーベル賞を受賞した田中さんもそう言っていた。はたから見たら何が面白いんだろうと思われることを、遊ぶ感覚でやっているうちに面白い独創的な結果が(誤って)、突然出るというようなことも在るそうだ。遊びは創造の源泉足り得るのである、だから子供だけでなく、大人も良く遊び良く学ばねばならないのである。
 そう思って、盆暮れ正月関係なしに毎朝7時半から会社へ来て仕事(?)を始める毎日である。
 もっとも月に400時間は働かない。年をとったし趣味も多いし、ボランティアにも精を出さなければならないからである。でも充実感はある。

 遊びのプロはいない、遊びでは金が取れないからであると言う人がいる。
でも遊んでいる感覚で仕事して、お金を貰っている人がいるのだから、そう決めつけることはないと私は思う。
 さて、遊びの本質は実利の為では無く、自己開放で何者にも縛られないことである。従って何者にも限定されない空間が、遊びによって様々に変化・変質する空間であれば、真の余暇の空間と言って良いだろう。 
 古来日本の家は東洋五千年の知恵が生きて、用途無限定の余暇空間であった。居間にもなり、食堂にもなり、寝室にもなると言う外国人から見れば信じがたい不思議な空間だった。この素晴らしさを生かして今後ともフレキシビリティの在る建築を私は設計・監理したいと考えている。私は所詮日本人だから。

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