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【01・アメリカ東部の旅

■ アメリカ東部の旅(1)
−フィラデルフィアからボストンへ−


 ギリシャ語で「兄弟愛の都市」の意味を持つフィラデルフィアを創設したペンのもとで、トーマス・ホルムが美しい幾何学パターンの都市を設計した。中心にシティホールが設定され大通りが十字に走り4区域の夫々の中央に特色のある公共広場(ローガン広場、リッテンハウス広場、ワシントン広場、フランクリン広場)が配置され市民に親しまれている。欧米の広場は本当に市民の憩いの場所になっている。ペンシルバニア美術アカデミーやロダン美術館は建築空間の至高の美を示して限りなく美しい。
 フィラデルフィア郊外エルキンズ・パークの丘の上に聳えるユダヤ教会「ベス・ショーロム・シナゴーグ」(ベスはユダヤ語で家、ショーロムは平和とか挨拶の言葉、シナゴーグは神の家の意味)はフランク・ロイド・ライトが自ら「輝けるシナイ山」と呼んだように,聖堂内部に光が満ち溢れ天候や時刻によって青にも白にも輝き,夜は建物全体が光りの景塊となって黄金色に天空に光り輝く。私はすっかりその魅力に取りつかれ時の経つのを忘れてしまった。キリスト教では司教に当たるラビの称号を持つアーロン・ランデス博士がこの教会の説明をして下さった。ライトは天才で素晴らしい建築家であるが、あえて欠点を見つけると礼拝堂の椅子の配列が向き合っているために、お互いが見えすぎて落ち着かないのと、出入り口が丸見えで人が遅れて入って来た時に気になるのです」私と一緒に説明を聞いていたアメリカ人が突然ラビに向かってこんなお節介を入れた。「悪いところなんてわざわざ言う必要はありませんよ」ラビはむっとしてそう言い返し、その後口を噤んでしまった。パピルスに羽根ペンで記述した「ユダヤ経典」を見ることが出来たのは誠に幸せだった。これはめったなことでは公開されることは無いと聞いた。
 反日感情は悪いと聞いていたが多分半日かけてやって来たのを勘定に入れてくれたものと理解した。(これは冗談)リチャーズ医学研究所、ソサエティヒルの街家、エドマン・ホール、ザ・ギャラリーと歴史の街フィラデルフィアには素晴らしい近代建築も多い。

 ボストンはヨーロッパ的魅力のある街でボストニアンはそう蒼明期の史跡を誇りにし,封鎖的なクラブ制に立て篭もって特殊なエリート社会を形成し、ケネディ兄弟のようにR抜きのクィーンズ・イングリシュ風のボストン英語を話す。最初は開運貿易によって富を蓄積した富裕階級のための住宅地であったが、今では文化人や有名人が数多く住んでいる。ゼロロット形式のレンガ造りロウハウス群の中央に広場があり塀が巡らしてある。周囲に住む住民のみが鍵を持ち柵の扉を開けて共同使用する。「公園」風の広場はいわば「私園」である。ルイスバーグ・スクエヤーと呼ばれ1826年に計画されたもので今も変わらない。ロンドンにもこのタイプの広場がある。
 コプレイ広場に立つトリニティ教会は、当時無名の建築家リチャードソンが競技設計に一等入選して一躍スターとなった作品である。スペインのロマネスク建築のサラマンカ(私は大好き)の搭から、インスピレーションを得て重厚な搭をその中央に置いている。十数年前には何も無かったコープリー・スクエヤーの周辺にホテルが建ち並び建物を貫通してペデストリアン・デッキが大胆に伸びてネットワークを創っている。建築基準法や道路法などで、がんじがらめの日本ではとても出来そうに無いなと思わずため息が出た。クーポラを頂いたフェデラル様式のファニュエルホール・マーケットは、1805年にベルフィンチにより計画され創設されたものを増築して現在の形になっている。このホールに対面する形でカラウンシー・マーケット、ノースおよびサウスマーケットが並行して建っている。かつてドックスクエアと呼ばれ、ウォーターフロントの荷捌き場として活気があったこの場所も、その後の埋めたてにより海岸から少し遠くなり治安も悪く錆びられていた。1964年にトンプソン社とトラウス社により再開発が構想され奇跡的成功を収め、現在ではボストンでは最も人気のある界隈の一つとなっている。ここは一年中賑わいを見せているようだ。
 あちこちに点在するバナーなどの原色が気持ちを引き立ててくれる。陽気なアメリカンの様子をここでも見ることが出来る。ボストン港には、レービス埠頭再開発と呼ばれる倉庫を商店や事務所や共同住宅に再開発した建物もある。ウォーターフロント開発は全米的にはまだまだ続くようである。
 チャールズ川のハーバード橋を渡ってケンブリッジに入る。有名なMITにはイーロ・サーリネンの設計したチャペルやクレスギー・ホールのような珠玉の作品がある。学生時代から好きだったチャペルの祭壇に下がるハリー・ベルトマイヤーの金属片による彫刻は、輝きが少し鈍くなったように感じられた。 イーロ・サーリネンの天才的頭脳には何時も脱帽する。
 彼とは40年前来日した時に大阪でお会いしたが、小さな形の良い彼の手と握手しながら、彼の目の美しく澄んでいることに其の時私はひどく驚いた。「私の頭には引き出しがあり,夫々の引き出しからプロジェクトに応じてアイディアを出す」と語る彼は、端正でメカニックなものから複雑でオーガニックなもの、極めて大胆な飛躍的な発想のものまで連日連夜苦しみ悩み格闘しながら、アイディアを搾りだし造型に練り上げながら、50歳そこそこでこの世を去ってしまった。惜しまれてならない。
 クリスチャン・サイエンスセンター,ボストン美術館、ジョン・ハンコックビル、ベーカーハウス、ハーバードキャンパス、カーペンター芸術センター・ピーボディ・テラスなどを次々と訪れ、深い満足感を味わった。

■アメリカ東部の旅(2)
ニューへヴンからニューヨークへ


 バスでニューヘヴンを経由してニューヨークへ向かった。ニューヘヴェンはエール大学のある街であり現代建築の宝庫である。
 ルイ・カーン、エーロ・サーリネン、ゴードン・バンシャフト、ケビン・ローチの設計した数々の建築を急ぎ足で見て回った。
 シーザ・ペリの事務所を訪問して日曜日ではあったが、くまなく案内をして頂いた。広い事務所の中はさながら模型の倉庫のようだった。大小様々の全体模型、部分模型とCADのパース(透視図)が所狭し置いてあった。
 インガルス・ホッケーリンク、エール・アートギャラリー,ブリティシュ・アートセンター、ベイネック・レアライブラリー、エール大学美術建築学部の建築を見た。ライブラリーの光りの洪水は魅力的だった。外壁のフレームに一インチ厚さの大理石を嵌め込み,透過光が赤みを帯びて何ともドラマチックだった。雑誌の写真でお馴染みではあったが実物は遼に迫力があって私の心を打った。しばし時を忘れて建ち尽くした。
 バスで遠方から見るニューヨークの摩天楼もエキサイティングで感動的だった。

ニューヨークへ
 飼い犬はいつも主人を見上げるため首(肩?) が凝っていると誰かからか聞いたが、私もニューヨークで一日中建物を見上げていたため首が凝り頭が痛くなった。ニューヨークの容積率は800〜1000%であり,東京のそれは最高で1000%である。この違いが建物のプロポーションの違いともなってくる。
 日本女性とアメリカ女性において足のプロポーションの違い如くニューヨークの建物は細長くスマートである。もっとも大和撫子の大根足の方が、そこはかとない色気があって良いかも知れない。日本の建築家も大根足建築を設計せざるを得ないので,色気で勝負をする以外に生きる道は無いと思っている。ニューヨークの3日間はさながら戦争のようで、おびただしい数の建築を見た。
 ローマン・カソリックのニューヨーク総本山であるセント・パトリック寺院はニューヨークに数多いアイルランド系住民の守護神として五番街の中央にその威容を誇っている。ゴシック・リバイバルの代表作であるがケルンの大聖堂にも似た外観は、フライイング・バットレスの欠如のためゴシックの情熱に掛けるように感じさせた。
 「世界の他の国にこれほどの文化センターはない」とニュヨーカーが自慢するリンカーン・センターは確かにアカデミックな場所である。でもこの程度の建築なら東京っ子は驚かない。メトロポリタン・オペラハウス、ジュリアード音楽院など、クラッシク音楽ファンの私には興奮を押さえきれない場所であった。
 建築の外観は3棟(オペラハウス、エイバリー・フィシャーホール、州立劇場)とも古典主義的造型であるが,緊張感を欠き重厚さが足りないように思われる。
 アール・デコ摩天楼の代表作であり、ニューヨークのシンボルでもあるエンパイヤー・ステイトビルは堂々たるその姿(外観)が特徴ではあるが、合理的な平面計画や抑制された装飾が効果的で老女優の風格があり、現在でも魅力十分である。
 高さでエンパイヤー・ステイトビを抜いたワールド・トレードセンターは日系アメリカ人のミノル・ヤマサキの設計であるが,残念ながらゴッシク風でありながら無味乾燥な形状や、荒涼たる外部広場の所為か好感を持てなかった。しかし着飾った貴婦人を思わせる脚柱は見事なプロポーションだった。
 1920年代と言うアメリカが繁栄に満ち溢れた時代のモニュメントとして、今日でも驚くほど魅力的なのはクライスラービルである。印象的な頂部や様々の装飾はバンアレンの創意とクライスラーの意向のマッチした幸せな賜物であった。
 翼のはえたラジエーター・キャップや、車の泥避けやホイール・キャップを模したタイル模様などはすべて自動車の部品からヒントを得ている。
 ニューヨークにおいても摩天楼は常に高さを競ってきた。ウールワースビルからクライスラービルへそしてエンパイヤー・ステイトビルからワールド・トレードセンターへといった具合である。アール・デコの集大成としてはロックフェラーセンターを挙げなければならないだろう。
 20世紀最大の建築的シンボルはミース・ファンデル・ローエによって設計されたシーグラムビルだろう。「レス・イズ・モア」と言う格言によって作られ、ルイ・カーンが「コルセットを隠した美しい貴婦人」と称したこの建築は40年を過ぎた現在でも限りなく美しい。あと数百年は建っているだろうとの説明を聞いた。たかだか25年ぐらいで壊されてしまう日本の名建築は哀れである。
 メトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、レバーハウス、TWAフライトセンター、トランプタワー、AT&Tビルなどの近代建築,現代建築は私に深い感動を与えてくれた。
それにしてもニューヨークは厳しい街だ。朝は皆駆け足で地下鉄に乗り込む。街角のコーヒースタンドも空席を見つけるのがやっと。雑踏を歩いていると「当たり屋」に狙われる。カメラをベンチに置くと横を向いた隙に攫われる。油断も隙もあったものではない。ニューファッションで着飾った紳士・淑女に混じって浮浪者がうろついている。
 黄金の彫刻プロメテウスのあるロックフェラーセンターのスケートリンクを見て,映画の「ある愛の詩」を思い出した。アメリカ人の大好きなサクセス・ストーリーのミュージカル「コーラスライン」が幕を閉じたと言うニュースを聞きながら、ブロードウエイで見たステージを想い出し憂愁に浸っている。

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