| 【05・カンボジア紀行】 |
カンボジア
日本建築家協会デザイン部会慣例の近場海外探訪シリ−ズで、1999年11月17日(水)から22日(月)の5泊6日で、タイのバンコックとカンボジアのシエムリアツプへ行って来た。今回は少々人数も少なく女性2人を含む一行9人であった。
アンコ−ル遺跡群は正に「東洋の神秘」・「世紀の謎」・「人類の世界遺産」であった。バンコックは初日一泊しただけでアンコ−ル遺跡群見学に丸4日間を当てた。水と平野と森の国・カンボジアはタイ、ラオス、ベトナムに囲まれた仏教国であり、農耕に勤しむ素朴な仏教徒である国民は、十数年続いた内戦から立ち上り、国歌再建の道を「新生カンボジア」を旗印に歩んでいる。
アンコ−ルといえばアンコ−ル・ワットがダントツに有名である。規模の雄大さだけをとってみても、納得はできるのだが、ワットの重要性を過度に評価することは、クメ−ル遺跡の全体像を見えにくくするように感じた。
メコン河とトンレサップ湖がアンコール遺跡を作った。
アンコ−ル遺跡群は、トンレサップ川の北西部に集中して存在する。私はこの遺跡群を見聞してトンレサップ川(湖)の存在の大きさを痛感ぜざるを得なかった。西暦802年に始まり、1432年にタイ軍の攻撃に亘って栄えたクメ−ル帝国の首都の遺跡である。辺鄙な陸部に数世紀に亘ってこれだけの巨大建築物を建築する勢力を持った王朝だ存在し得たのは何故であろうか。トンレサップ湖の西北部に展開する広大かつ肥沃な稲作適地の存在である。トンレサップは年間5万トンもの捕獲高が保証される漁場である。米と魚が潤沢に生産される環境、これは社会発展の基礎条件として極めて重要であると言わなければ成らない。トンレサップ湖とメコン川はアンコ−ルを「内陸的農業国家」とたらしめると同時に「交易国家」おも可能にした。1296年アンコ−ルを訪れた週達観(中国人)は、その壮麗さを次のように述べている。
国の中央には一座の金塔があり、東側に金橋が1個所あり、2体の金獅子が橋の左右に並び、金仏8体が右の部屋の下に並んでいる。外国からやって来た海上貿易商人達の間に「富貴真蝋」という褒め言葉があるのはこのように金塔が建ち並んでいるためであろう。現在では砂岩が露出しているために、かえって日本人好みの渋い灰色になっているアンコ−ルの石造建築群は、かつては黄金色や派手な朱色でキンキラキンと輝いていたらしい。現代の中国人は交易を求めて競ってアンコ−ルに出掛けたらしい。カンボシアでは商売は女性の仕事だった。周達観は「近頃、唐人に詐欺をして欺く者がいる」と苦情を述べているが、したたかな商人根性を持った女性がカンボジアにはいたのであろう。
アンコ−ル全体を一大建設事業という角度から捉えると、バライと呼ばれる巨大な貯水池の遺構群に気付く。綿密な計算に基づき、これらの数多い貯水池が86,000ヘクタ−ルの水田の灌漑を可能にしたと推定できる。バライと給水用運河網によって可能となった集約的農業が都市文明としてアンコ−ル文明の発展の基礎である。
11世紀の建設とされる西バライは東西8km、南北2.2kmという巨大さである。近代的な測量機器もなく、ブルド−ザ−すら持たなかった時代にこれ程の構造物を構想し、それで実現した古代クメ−ル人の構想の雄と建設技術能力には只々驚嘆するばかりであった。この巨大な石造建築群は、栄光の歴史の幕を引いて生い茂る熱帯のジャングルの中に建設し、やがて人々の記憶から消え去ってしまった。その後のカンボジアは、政治権力の核心をメコン河下流に移し、小規模な港市国家へとのその姿を一変させてしまった。
アンコ−ル:東洋のパルテノン
クメ−ル文化、インドや扶南、隣国のチャンパ、中部ジャワなどからさまざまの形の文化的刺激を取り上げても、現代の都市計画家や建築家がチマチマと小さなスケ−ルで構想しているのに比べ、その構想の雄大さや息の長さは古代人特有のものとはいえ、正に驚異的で感動を覚える。クメ−ル建築群も当然のことながら、宗教建築である。ヒンドゥ−教・仏教等の建築に属するが、土着の信仰とミックスされ「クメ−ル教」と呼ばれる独自の宗教に変化しており、建築の構成も始めから綿密な計画に基づくものではなく、祭祀のための小さな建物を山頂に建て、徐々に附属する建築物が付け加えられていく。そして周壁や回廊と呼ばれる宗教建築と囲む施設が建設される。
この段階で全体計画が綿密さを加え次々と増改築を繰り返し、総合的な建築群「伽藍」が作り上げられる。アンコ−ル・ワットもアンコ−ル・トムもそうであった。伽藍の中心にヒンドゥの神々を奉った「 堂」と呼ばれる建物があり、リンガ(男性器)が信仰の対象として奉られている。プラフマ−神、ヴィシュヌ神などヒンドゥ教の様々の神々が登場する。堂以外に経文や宝物を収めた「経蔵」楼門や塔門、さらに僧坊そして回廊、テラス、周壁などの附属建築は幾度も増改築が行われたようである。非常に人工的な仕掛もあり、視覚的なプロポ−ションを重視し機能性を無視した階段は人々が神に容易に近付くことを拒否して非常に急であり視覚的演出も豊富で、立ち止まり、振り向き、見上げ、そして見下ろすと視界に大きな変化が現れる、きめ細かなものとなっている。美しさを追求するあまり、そのプロポ−ションは非人間的であるとも感じた。
今回の見聞録は個々の建築の作られた背景と一般的解説を部分的試みたにとどまる。興味ある方は専門書をお読み頂きたい。
遺物の保存と修復−
日本の幾つかの大学がクメ−ル遺跡群の修復に関わっている。どうも私には納得いかない点が幾つかあった。砂岩という比較的柔らかい石を使った文化圏であるクメ−ル建築は日本の木造文化圏に近いようには思われる。仕口、繋ぎ梁、連子窓の発想は、この柔らかい石の産物でえあり、日本が蓄積して来た木造建築の保存技術が大いに応用できそうに思える。しかし現実に行われている方法は欧米流の堅い石の文化財修復法に従っているものが多い。更に極めてお粗末としか言いようのない方法も取られている。便宜的に行なった仮修復かもしれないが、木の柱を突っかえ棒とし、尖塔をマニラロ−プで縛っただけのものもある。軟弱な地盤を改良せずに修復を行っている為、不同沈下を起こしている遺跡を多い。資金的な問題や工期の問題、更には各大学相互の縄張り争いもあるようである。カンボジアは現在まだ貧しい国である。その修復も含めてさまざまの援助が本当にカンボジア人の心を捉えているのか、カンボジアの為になっているのか、その方法と合せて再考する必要があるように感じた。
ツア−ガイド・「谷川めぐみ」さんのこと
素晴らしいガイドであった。今回の旅が充実したのは彼女のお陰である。臨機応変のガイド振りとその専門知識の深さ、話術の巧みさ、教養とエスプリに満ちた温かい人柄で旅を楽しくして下さった。ギリシアの神話や民話に詳しく、遺跡に彫られたレリ−フの物語を、さながら映像を見る如く車中で休みなく話して下さった。さらには遺跡群の背景にある歴史と現代のカンボジアの持つ問題点を様々な角度から説明して下さった。この様に優秀な日本人に巡り合えたことは誠に幸運であった。深く感謝の意を表したい。
東洋の神秘アンコ−ル遺跡群探訪の旅が気の合う総勢9人の想い出深い旅になったことを神(サムシング・グレイト)に深く感謝する。
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