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【06・ジャワ・バリ島紀行】


■ ジャワ・バリ島紀行-1

はじめに
 ヨーロッパのみならず、シンガポール、インドネシア、カンボジャ、マレーシア、ベトナムと東南アジアも歴訪する機会に恵まれたが、インドネシアは私にとって大きな魅力だった。私が所属する日本建築家協会のこのツアーは、ジャカルタ・スマラン・ジョグジャカルタ・そしてバリと古い歴史をもった魅力的な場所であることと、ツアー・コンダクターの建築家・黒田正人氏が数年来、仕事を通じてインドネシア人との交流を持っていたことがこの旅をよりすてきなものにしてくれた。彼のお陰で、各地で大歓迎を受けることが出来た。インドネシアは17,000以上の島々と300以上の民族と250以上の言語を持ち、東西文化の中継点としてオランダ領東インドに始まりオランダ・イギリスさらに日本の長い植民地時代を経験し、ヒンズー教・イスラム教・キリスト教の入り混じる宗教を持つ国家である。

ジャカルタ
 ジャカルタの中心部に独立を象徴する記念塔モナスが建っている。モナスを中心にムルデカ広場が広がっており、街は伝統と近代が程よく同居している。17世紀オランダ植民地支配のバタビアの面影を残す館と、モダンな建築群が不思議に違和感を覚えさせない。タマンミニ民族園は日本の明治村の趣であった。カルチャーショックを与えるほどの強烈な印象をわれわれに与えた。

スマラン
 国内線の飛行機がとうとうその日は飛ばなかった。日本人はすぐカリカリするが蒸し風呂のような機内で一時間余を待たされても、インドネシア人は大人しく文句を言わない。おこることとプライドを傷つけることは何よりも悪いことであると彼等は良く知っている。気功師でもある私は良く理解できる。オランダ統治時代の洋風建築やプロテスタント教会が点在し、州都にふさわしい商業の中心地である。しかし日本人は余り訪れないようだ。整備したら立派な観光地になるという印象を持った。激しいスコールの中、旧スラム街(カンポン)の改造計画を見学した。小さな川沿いの町並みの整備計画で、川を改修し、道路を整備し、美しく植栽し住居の改築とあいまって旧スラム街は面目を一新していた。

ジョグジャカルダ
 ジョグジャカルダ王宮での夕食にはべチャ(三輪自転車)で出かけた。ジョグジャではベチャが一番似合っている。身軽で混雑した車道も歩道もおかまいなしに走り抜ける。しかも安い。ガムランと舞踊と王宮料理を愉しんだ。ガムランは青銅の交響楽である。本来は叩くと言う意味で打楽器がその中心になっている。ジャワ島とバリ島では演奏スタイルが異なっていた。ジャワ島のそれは編成も音階も青銅中心のものと、竹製中心のものと種々ある。ガムランの殆どの楽器が二台一組で同時演奏だが、同じ楽器でありながら音色とピッチが少しずつ微妙に食い違って、不協和音を出し独特のうねりのような響きを出す。単純な音楽も複雑な音楽に変わってしまう。発声はベルカントではなく胸声による地声である。ブルガリアンのそれに近い。
 翌朝マルオボロ通りを王宮に向かった。郵便局、銀行などオランダ植民地時代の建物を見ながら、長年にわたりジョグジャカルタ統治してきたスルタンが住んだ王宮(クラトン)に入った。まさにジャワ建築の粋を集めた建築である。歴代スルタンの使った家具調度品、写真、肖像画等の展示されている博物館などを見学した。
 マリオボロ通りは露天商と高級品店とが交じり合う楽しいストリートである。夜は即席のレストランまで出現するありさまで、ジャラン・ジャランしながら
片言のインドネシア語で買い物するには絶好の場所である。ワヤンとよばれる影芝居を見た。ダランとよばれる人形師が一人でスクリーンを仕切りガムラン音楽に合わせて人形を操作する。まさにオーケストラの指揮者であり演奏家でもあるスパーマンである。当然ダランの社会的地位は高いと聞いた。
 ジャワ更紗(バティック)もわれわれの心を捉えて離さなかった。パターン化したモチーフによりデザインされている。手書きのものは値段も高いがデザインの優れたものが多い。バリの絵画もまたすごい。ドイツ人画家ワルター・シュピースはバリ絵画ルネッサンスのダイナマイト的仕掛け人と言われているが、西洋絵画の先例を受け、独自の躍動感あふれる芸術的バリ絵画を作り出したようである。
 午後は仏教史跡のボロブドールへ出かけた。ジャワ芸術の粋とよばれるこの石造仏教遺跡は、未だ秘密のベールに包まれた部分が多いようだ。約1000年も土中に埋もれて、その姿を見せたのは80年前のことである。8世紀末から約70余年の歳月をかけてこのボロ(僧房)・ブドール(丘)を作ったようだ。
 外側の低い基壇は丘の土壁を押さえるため後から追加されたものと聞いた。多くの仏像の首が失われているのは誠に残念であり修復の痕跡が各所に見られた。釈迦や菩薩や自然の風景や動物などのレリーフが無数に書いてある。是はストウパであろうかマンダラであろうか。子の壮大な僧房の丘を見てインドネシアの持つ多面性をこの「隠れた基壇」に垣間見た思いがした。

■ ジャワ・バリ島紀行-2
 ジョグジャカルタは「インドネシアのキョート」とよばれるように誠に美しい古都である。翌日はブランバナン(ロロジョングラン)寺院をはじめチャンディサリ、チャンディカラサン、チャンディプラオサンなど多くの寺院を見学して、ジョグジャ野魅力を満喫した。ブランバナン覇か無し乙女の伝説を持ち、優美、繊細、華麗な美で訪れる人を幽玄の世界に誘い込む。私はムラピ山を拝啓にそそり立つ子の寺院にゴシック建築の持つ峻厳さを感じ取った。内部の肉体彫刻は異様とも言うべき限りない「悩ましさ」を感じさせた。
 午後の便でバリ島デンパサール空港へ向かった。

バリ島
 ヒルトン・インターナショナルはさすがに観光地バリにふさわしい良いホテルだった。ディナーショウでバリ舞踊を愉しみフィナーレでわれわれも踊りの輪に加わった。パニュンブラマ、ペンデット、ガポールと呼ばれる歓迎の踊りやバリス戦士の踊りと聞いた。翌朝チャロナランと言うバロン・ダンスを見た。超自然の力を持つヒンズー教の象徴である聖獣バロンの、バリの人々の哲学を織り込んだ踊りは、その勇壮さでわれわれの心を掴んで離さなかった。アマンダリ・リゾートホテルやリゾートホテル群(デヴィ、スリ、バンガロー)などを見学した。畑の中に点在したり海岸にあったり各地に広がっている。3月5日はサカ暦の新年に当たり.日ちび地は明かりを消して静かに過ごす。われわれはその前日と前々日をバリで過ごしたおかげで静かななニューイヤーの前のお祭りを幾つも見ることが出来た。
民族衣装を着た人が集まり、美しい祭壇を作ってガムラン音楽を演奏し海に向かってお祈りを捧げる。張子の竜やおみこしを担いだ人々が太鼓やシンバルに合わせて街中を練り歩き、所々でケチャ(男声合唱劇)やトペン(仮面舞踊劇)が行われる。われわれは大勢の日本女性を見かけた。夜はブリアタン村の貴族の館でのディナーとなった。インドネシア料理と地酒に舌鼓を打ちプリアタン・ダンスを愉しんだ。ダンスには街で見かけた日本人女性も加わり(後で聞いて見ると7年も前からバリ島を度々訪れダンスを習っているとか、近年益々バリ島とその踊りの魅力に取りつかれた日本人女性が多いと聞いた。
翌日ホテルのプールで一泳ぎしてから、ビーチへ出かけた。バリ島の女性はトップレスだった。トップレスの日本人女性は見かけなかった。
 インドネシアのビールはなかなか美味しかった。地酒もかなりいける。ナシ・ゴレンと言うチャーハンに似た軽食は昼食にはちょうど良い。サテと言う焼き鳥もおいしい。バビ・グリンと言う子豚の丸焼きもその皮が特に旨い。スパイシーで香辛料とココナッツ・ミルクで味付けするようだ。米を主食にするインドネシア料理は日本人の舌に合うといって良いだろう。
 今回のインドネシア紀行は駆け足ではあったが、彼の地の文化・建築を見学しただけではなく、建築家として現地で大勢の方々の熱烈な歓迎を受けて交流も親睦も深めることが出来有意義だった。
 ジョグジャカルタとバリ島には何度でも訪れたい。サムパイ・ジュムパ・ラギ(またお会いする日まで)テリマカシ!(ありがとう)

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