| 【10・限りない可能性を秘めた国ベトナム】 |
ホーチミン市の近代建築
日本とベトナムには400年遡るほど古い歴史がある。
ベトナムの中部のホイアンと言う町には,16世紀末から17世紀前半まで日本人町が栄え,後朱印船の半数が寄港したと言う。浦島太郎の助けた亀に連れられて行った龍宮場はベトナムだと言う話もある。ホーチミン市の古い建物には龍宮場を彷彿とさせるものもあったし、アオザイを美しく纏った女性は乙姫様を連想させた。
「愛」・「インドシナ」・「青いパパイヤの香り」の映画に見るような、オリエンタルな香りのするフランス様式の建築群が際立って美しい。今から65〜125年前に建てられた物が多いが、私の泊まったマジェスティック・ホテルは、ピラスターをつけた古典的な形式のバルコニーやアール・ヌーボー形式のアールのついた外壁などの美しい建築だった。
サイゴン大聖堂の外観はロマネスクで内部はゴシックであった。改修されたとは思われないが, ヨーロッパでもこの形式の不統一は良くあることと納得した。
デザイン的には、プロポーションにやや破綻をきたして一種の可笑しみのある様式建築が目に付いた。日本の明治建築と同様である。
クチのトンネル
ホーチミン市の西北70kmにあるクチの200メートルにも及ぶ蜘蛛の巣のような多層横穴地下トンネルを訪れた。会議室・食堂・台所もあるこのトンネルは、クチにすむ人の強い意思と智恵と誇りを良く分からせてくれる、驚くべき塹壕だった。数々の工夫を凝らした「落とし穴」を見ると,十年にも亘る長期化したベトナム・ゲリラ戦争で厭戦感情が支配したのもむべなるかなと思わせるものだった。ベトナム人が平和と独立と永遠の安寧を求めて、どんなに粘り強く戦ってきたかが良く理解できた。ジャンヌ・ダルクのような女性兵士が数多かったのも知った。ベトナムの女性は強く、たくましく、賢く、そして魅力的である。フランス植民地支配に抵抗し始めてから100年以上も、女性はベトナム社会を支えてきたことを実感した。企業のボスも女性が多い、政府要職にも、国会議員にも,会社のマネージャーにも女性が数多く進出している。
ベトナムの音楽
ベトナム料理のレストランで,ベトナム古典楽器の演奏を聞くことが出来た。
ベトナムは芸術の面で中国の影響を色濃く受けている。インドの音楽文化の影響もあるように思う。中国から数多くの楽器も齎されたようだ。
四弦のリュート属のティバ・バンジョーに似た三弦の発弦楽器、タンフェン(三弦)ホカン(二弦)など音色はとりわけ美しい。中国の潮州の筝と形式も演奏のし方も良く似ている。
ベトナムの「調」の体系には中国の調理論にはない、即興演奏と装飾法の体系があるようで、インドの影響を反映しているように思われる。特徴的なのは、第一音のピッチをハイにすることと第四音の音をスーパー・ハイにするのは確かのようでこれが、聞く人がベトナム音楽とすぐ分かる一大特徴をなしている。
ベトナムアラカルト
アオザイ美人はエステがお好きのようだ。ベンタイン市場や街のあちこちにあるエスチック・サロンでマッサージやお肌の手入れに余念がない。ベトナム人は英語が下手である。中学校で文法を中心に勉学を始めるからであろう。相当に聞き取り難い英語である。ベトナムには笑顔があふれている。これは素晴らしい限りであった。ベトナム戦争でも希望を持ち続け戦い抜いた強さと自信から来るものだろう。日曜日,あふれるほどの人がキリスト教会のミサに参加していた。私も四つの教会を梯子して、一緒にミサを歌い続けた。(但し私は日本語とラテン語で)ベトナム人の心が広いのは信仰から来るものだろう。
ベンタイン広場では,物凄い数のゴキブリとヤモリが蠢いていた。私ども日本人には少々脅威だった。トイレでゴキブリの大群に襲われた。その数、およそ数百匹、思わず立ちすくんだ。ヤモリが天井から降ってきて、鍋料理の中に見事墜落命中した。さすがになべはすぐ取り替えられた。
今回はホーチミン(旧サイゴン)と周辺しか訪れることが出来なかったが、この次は首都ハノイを始め限りない可能性を秘めた、エンネルギッシュで魅力的な国ベトナムをゆっくり訪れたいと思っている。
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